今回の解決事例で書かれている内容(目次)
「鉄鋼業」の事例です。
本件は、切断機を使って鋼材を切断する業務に従事していた従業員が、切断後の残材を手作業で除去しようとした際に回転していた切断機の刃に手が接触して負傷した労災事故の事案です。
従業員は、事故後退職しましたが、本件事故により後遺障害等級10級という重い後遺障害が残ったとして、代理人弁護士を通じて、会社に対して2000万円超の損害賠償を請求してきました。
請求を受けた会社代表者は、自社と契約のある保険会社に対して、保険が使えないかどうかを確認しました。しかし、保険会社の担当者からの回答は、本件事故については、保険は使えないというものでした。
労災事故については、会社が労災上乗せ保険や使用者賠償責任保険に加入していれば保険が使えるケースもありますが、本件ではこれらに加入しておらず、保険も使えませんでした。また、会社代表者が、保険会社の担当者に対し、元従業員から請求されている損害項目や金額等を伝えたところ、保険会社からは、「過失の点はおくとしても、それ以外の損害項目に関する元従業員の請求額は概ね妥当である。」と回答されました。後遺障害10級という障害の場合、その損害額は、労働者の年収や年齢、労災保険からの受給額等によって異なりますが、1500万円から2000万円程度になることが通常です。
▶参考:労災事故における損害額の大体の相場傾向
突如、2000万円超という多額の損害賠償を求める書面が弁護士から送られてきたことや、事故の発生について会社側にも一定の落ち度があることは否定できない状況にあったことから、会社代表者も精神的にきつい状況であったのではないかと思います。ご相談いただいた会社代表者は、紛争を早期かつ円満に解決をするため、できる限り訴訟ではなく、交渉による解決を希望されました。
▶参考情報:労災事故については、以下の記事で詳しく解説していますのであわせてご参照ください。
咲くやこの花法律事務所でご相談をお受けし、相手方との交渉を弁護士が窓口となって行ないました。具体的には、弁護士から、相手方弁護士に対し、後遺障害逸失利益の算定や過失割合等について、元従業員による請求が過剰であることを主張しました。その際、会社側の主張に説得力を持たせるために、弁護士において多くの裁判例をリサーチし、過去の裁判例にはこちら側の主張に沿った判断を示したものがあることも指摘しました。交渉の結果、最終的には、2000万円超の請求から大幅に減額した570万円を支払うことで示談が成立しました。
本件における主な課題は、以下の3つでした。
以下で詳しく解説します。
労災による認定の結果、本件事故により元従業員が残った後遺症は障害等級10級に当たる。したがって、元従業員は労働能力を27パーセント喪失した。
元従業員は、労災保険の後遺障害認定において、本件の事故による後遺症について、後遺障害10級の認定を受けていました。その場合に労災保険が定める標準喪失率は27パーセントになります。元従業員はこれに基づく主張をしていました。
これは後遺障害逸失利益の金額の算定に関わる課題です。もし元従業員が労働能力を27パーセント喪失したとすると、将来得られるはずだった収入が27パーセント減少したことになります。そして、会社としては、この27パーセントの減少分について、将来にわたって、後遺障害逸失利益として損害賠償義務を負うことになります。
本件では、会社側の立場から、元従業員が労働能力を27パーセント喪失したという主張を全面的に争いました。
過失割合は「会社:元従業員=100:0」であり、本件事故について元従業員には全く落ち度がなかった。
元従業員にも一定の落ち度があった。
これはいわゆる過失相殺にかかわる争点です。過失相殺とは、損害の発生について従業員にも一定の落ち度があった場合に、損害の一部を従業員に負担させることをいいます。おおまかにいえば、例えば、①労災事故により従業員に発生した損害額が1000万円、②過失割合が「会社:被害者=8:2」のケースでは、会社が従業員に対して800万円の損害賠償義務を負い、残りの200万円については、被害者が負担するイメージとなります。
本件では、確かに会社側にも、①インターロック機構等の安全装置の導入が不十分であったことや②従業員が日頃から素手で残材を除去していることを認識していたにもかかわらず、道具を使うよう指導していなかったといった点で一定の落ち度があることは否定できませんでした。
しかし、一方で、会社側の弁護士として、元従業員にも本件事故の発生につき、相応の落ち度があった旨を主張する必要がありました。依頼者も会社に落ち度があることは理解されている一方で、元従業員に全く落ち度がないという主張については納得できなかったのではないかと思います。
本件事故により元従業員が残した後遺症の程度は、労災による認定結果に基づいて後遺障害等級10級である。後遺障害の具体的な内容としては、左手の中指及び薬指の関節可動域が事故前の2分の1以下に制限されている(平たく言うと、事故前に比べて手指が曲がらなくなっている。)。
これは損害額の認定に関わるものです。労災事故による後遺障害は、その程度に応じて1級から14級という等級が認定されます。この等級は数字が小さいほど障害が重くなり、認定される損害額も高額になります。
本件で会社側からご依頼があったのは、労災保険の手続が全て終わった後であり、労災保険における後遺障害の認定の段階では会社の意見を聴くことなく、元従業員と労災保険の間で認定が済んでしまっていました。しかし、労災保険が本件について重い後遺障害10級の等級を認定した点には疑問があり、会社として後遺障害の等級を争うことにしました。
上記のような争点を踏まえて、本事案の担当弁護士の見解を解説していきます。
労災保険では後遺障害等級ごとの「標準喪失率」が以下のとおり定められています。訴訟でも、機械的に、後遺障害の等級に応じた標準喪失率が採用され、これに基づき後遺障害逸失利益が計算されることが多いです。
▶参考情報:後遺障害逸失利益については、以下の記事で詳しく解説していますのでご参照ください。
後遺障害等級 | 労働能力喪失率 | 後遺障害等級 | 労働能力喪失率 |
第1級 | 100% | 第8級 | 45% |
第2級 | 100% | 第9級 | 35% |
第3級 | 100% | 第10級 | 27% |
第4級 | 92% | 第11級 | 20% |
第5級 | 79% | 第12級 | 14% |
第6級 | 67% | 第13級 | 9% |
第7級 | 56% | 第14級 | 5% |
もっとも、実際には後遺症が残ったからといって、従業員が労働能力を喪失するとは限りません。裁判例の中にも、実際の状況を踏まえて標準喪失率よりも低い喪失率を認定するものや、後遺障害が残っても実際には労働能力を喪失していないと判断したケースも存在します。
会社からご相談を受けて事件を受任した当時は、上記のような機械的な損害額の算定を争うための資料がありませんでした。しかし、資料が手元にない場合であっても、簡単にあきらめてはいけません。
本件では、後遺障害の内容は、中指及び薬指の関節の可動域制が制限された(曲がりにくくなった)というものであり、元従業員が事故後、転職先で従事している業務内容によっては収入が減っていない可能性がありました。そこで、担当弁護士から元従業員の弁護士に対して、事故後(転職後)の元従業員の給与額が分かる書類(源泉徴収票等)の開示を求めました。
なお、このような場合、元従業員が素直に開示に応じるとは限りません。元従業員からすると、自分にとって不利な資料となり得るわけですから当然と言えば当然です。本件では、元従業員から雇用契約書やタイムカード等の資料の開示を求められていましたので、「こちらも雇用契約書等を開示する代わりに、元従業員にも源泉徴収票等の開示を要求する」という方針を取りました。ただし、タイムカード等の開示に際しては、弁護士において、これらを開示することで未払残業代請求等がなされるおそれがないかを慎重に検討しました。
このようにして開示された源泉徴収票を見ると、元従業員の給与額は事故後減収するどころか、むしろ約1.3倍に増収していることが判明しました。これを踏まえて、担当弁護士として、元従業員は労働能力を喪失しておらず、したがって後遺障害逸失利益も発生していない旨を主張しました。
併せて、過去の裁判例を見ても、事故後の減収がない事案において、後遺障害逸失利益が発生していないと判断したケースがあることを相手方に指摘しました。単に減収がないこと(あるいはむしろ増収していること)を指摘するだけではなく、こちらの主張に整合する裁判例がある場合には併せて指摘することが重要です。これによって、当方の主張が裁判所でも通用するものであるという印象を相手に与えることが期待できます。
元従業員は、当初、本件事故につき、自分には全く落ち度がないと主張していました。しかし、担当弁護士は、元従業員の軽率な行動が本件事故の一因となっており、全く落ち度がないという主張には違和感を覚えました。そこで、元従業員の落ち度も相応に考慮すべきである旨主張して、全面的に反論しました。
元従業員の落ち度による賠償額の減額を主張する場合には、類似事案について判断した裁判例において、どのような事情が考慮されているのかを意識する必要があります。
本件のように機械操作・設備等に関連する労災事案では、機械・設備等が十分に安全対策がされたものであったかという点のほか、以下のような事情を考慮して、従業員の落ち度(過失割合)が決定されます。
弁護士がこれらの点について会社に事情を聴いたところ、本件では、以下のような事情が存在しました。
(ア)安全教育について
元従業員はベトナム人であり、日本語で安全教育を実施しても、十分に理解ができない可能性がありました。そのため、会社は、入社時にベトナム語の翻訳を依頼して、元従業員に対する安全教育を実施していました。また、入社後約1か月半はベテラン従業員がマンツーマンで機械の使い方や危険事項について指導などしていました。
(イ)従業員の経験や理解力
元従業員は、前職でも機械加工に従事しており、一定の経験を有していました。
(ウ)元従業員が行った行為の危険性や不注意の程度
本件事故は、元従業員が切断機の刃が回転していることを認識していたにもかかわらず、その回転刃のすぐ近くにある残材を素手で取り除こうとして、回転刃と手の甲が接触して負傷したという事案でした。通常であれば回転刃が完全に停止してから残材を除去すべきところ、回転中に残材を素手で取り除こうとした元従業員の行為は、軽率かつ危険なものであったといえます。
交渉では、これらの点を指摘して、元従業員の落ち度も大きいことを主張しました。
併せて、本件事故と類似の事案で5割の過失相殺を認めた裁判例がありましたので、このような裁判例にも言及したうえで、本件でも少なくとも5割の過失相殺が認められるべきであると主張しました。
元従業員は本件事故後に労災申請を行い、労災保険において後遺障害等級が10級と認定されていました。もっとも、担当弁護士が、元従業員から開示された後遺障害診断書を見ると、ギリギリで10級になっているような微妙な事案でした。
そこで、この点についても、争う余地があると考えました。
▶参考情報:労災保険における後遺障害等級については、以下の記事で詳しく解説していますのでご参照ください。
労災保険において既に後遺障害の認定がされている場合、これを会社が争うカギとなるのは「カルテ」です。カルテには本件事故後の治療経過等が記載されており、反論の糸口になるケースがあります。もっとも、元従業員を治療した医師には守秘義務があるため、会社側弁護士から医師に対して、直接カルテを開示するようお願いしても断られてしまいます。
そこで、担当弁護士から、元従業員の弁護士に対して、カルテの開示を要求しました。当初、元従業員の弁護士はカルテの開示に難色を示しましたが、担当弁護士から「もし訴訟になればカルテはほぼ確実に開示されるはずである。」などと指摘して、強く開示を求めました。
これによって、元従業員からカルテが開示されました。もっとも、元従業員は本件事故後に2つの病院に通院していたのですが、当初はそのうち1つの病院のカルテしか開示されませんでした。そのため、担当弁護士からもう1つの病院のカルテについても開示するよう求めました。複数の病院で治療やリハビリを受けていた場合、原則として全ての病院のカルテを確認すべきです。
本件のような関節可動域の制限(例:指が曲がりにくくなった等)が問題となっている事案では、カルテを確認する際の主なポイントは以下の2つです。
① 症状固定日より前に、より関節可動域が広がっている旨の記載がないか
労災保険の後遺障害認定は、症状固定日(医師がこれ以上治療しても改善が見込めないと判断した日)において、医師が測定した関節可動域の測定結果をもとに行なわれます。この症状固定日より前に、もっと関節可動域が広がっていた(例:もっと指が曲がっている等)という記載がカルテにあれば、こちらに有利な資料として指摘できます。症状固定日より前にもっと指が曲がっていたということであれば、原則としてそこから症状が悪化し、指が曲がらなくなったということはないからです。この場合、症状固定日における計測結果が誤りである旨を主張するための有力な資料になります。
② 症状固定日より後に、関節可動域が広がっている旨の記載がないか
上記のとおり、症状固定日とは、医師がこれ以上治療しても改善が見込めないと判断した日をいいます。改善が見込めないからこそ、後遺障害として認定されるのです。しかし、症状固定日より後に、関節可動域が改善しているケースもあります。この場合、医師による症状固定の認定が時期尚早であり、もう少し改善してから、後遺障害の認定をすべきだったということになります。この点についてもカルテの記載を確認する必要があります。
本件では、担当弁護士が、開示されたカルテを確認したところ、残念ながら、後遺障害診断書に比して関節可動域が広がっている旨の記載はありませんでした。もっとも、後遺障害等級10級といえるか微妙な事案であることやもし訴訟になった場合には後遺障害等級についても争う予定であることを元従業員の弁護士に連絡して交渉しました。
本件は、元従業員からすると、後遺障害等級10級という認定が覆された場合、より軽い後遺障害等級である12級または14級となる可能性がある事案でした。12級や14級になった場合、請求できる損害賠償額が大幅に減少します。そのため、会社側として後遺障害等級についても争う姿勢を示しておくことで、元従業員は訴訟を提起することにつき、慎重になるのではないかと考えました。
このように後遺障害等級についても争う姿勢を見せておくことで、有利な内容で示談できる可能性が高くなります。
結果としては、元従業員が請求する2000万円超から4分の1程度にまで減額した570万円で和解が成立しました。また、できれば訴訟にしたくないという依頼者の要望にも応えることができました。依頼者にも精神的に非常に救われたと言っていただくことができ、本当に良かったと思います。
なお、本件を踏まえた会社側の教訓としては、以下の点をあげることができます。
例えば、以下のような取り組みをすることが考えられます。
上記「(1)事故を防止するという観点から」のような事項を網羅していても、事故が発生する可能性をゼロにすることはできません。そのため、万一の労災事故に備えて、労災上乗せ保険や使用者賠償責任保険への加入を検討することも適切です。
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今回は、「鉄鋼業者が労災事故で負傷した外国人労働者から2000万円超の請求をされたが、弁護士の交渉により約4分の1に減額した解決事例」について、ご紹介しました。
労災に関するお役立ち情報も、以下でご紹介しておきますので、参考にご覧ください。
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・労災の補償制度とは?補償内容や金額、支払われる期間を詳しく解説