今回の解決事例で書かれている内容(目次)
「医療・福祉業」の事例です。
本件は、有資格者として雇用した従業員が、有資格者として通常知っているべき知識を知らなかったり、当然行えるべき業務を満足にできなかったりするなど、能力が不足していたため試用期間満了時に解雇した事案です。
相談者(会社)は、この従業員に対して、指導記録をつけながら指導を繰り返しましたが、一向に改善が見られなかったため、これ以上の改善はできないと判断し、試用期間満了時に解雇しました。
これに対して、元従業員から本件解雇は不当解雇(無効)であるとして労働審判を申し立てられました。
相談者は、労働審判を申し立てられた経験がなく、初めての出来事だったため、ご自身で対応されることに不安を感じられ、咲くやこの花法律事務所に労働審判の対応をご依頼されました。
労働審判では、解雇が有効であり元従業員の主張に理由がないことを示すために、弁護士から、主に以下の点を証拠に基づいて詳細に主張しました。
その結果、労働審判委員会には、相談者が指導を丁寧に行っていたことを認めてもらったうえで、解雇が有効になる可能性もあるとの見解を示してもらえました。ただし、相談者としても、解雇の有効性にこだわり労働審判を長引かせるよりも、早期に解決したいという希望があり、また、裁判官から労務管理について改善すべき点の指摘もあったため、最終的には解決金として元従業員の3か月分の給与相当額を支払うことで調停が成立しました。
このように金銭を支払ったものの、解雇事件の労働審判における解決金の平均値が給与の6か月相当分であることを踏まえると、平均値の半額程度での解決になりました。
▶参考情報:労働審判における解決金の相場、その他労働審判についての解説は以下をご参照ください。
本件のポイントは、以下の3点でした。
以下で詳しく解説します。
労働審判は、紛争の迅速な解決を目的の一つとした制度であるため、訴訟よりもかなりタイトなスケジュールで進みます。1回目の期日は、原則として、労働審判手続きの申立てがされた日から40日以内に指定されます(労働審判規則13条)。
また、労働審判の審理を担当する労働審判委員会は、1回目の期日までに事件についての大まかな見通しを立てるのが一般的です。そのため、1回目の期日までに提出される書面や証拠の内容によってその労働審判の解決方針がおおむね決まってしまうといっても過言ではありません。
このような労働審判の制度からすると、労働審判を申し立てられた事業者側としては、申し立てられてから1か月程度という短い期間の中で、事件に関係する証拠を可能な限り集め、その証拠に基づいて十分な主張をすることが重要になります。
能力不足を理由として解雇をした事案において大きな争点は、本当に従業員の能力が不足していたかどうかです。したがって、解雇が有効であることを主張する側としては、従業員の能力が不足していたことを主張していくことになります。
もっとも、裁判所は、事業者側が証拠もなく抽象的に能力が不足していたことを主張しても従業員の能力不足を認めてはくれません。そのため、客観的な証拠に基づいて従業員の能力が不足していたことを証明する必要があります。
具体的には、他の従業員に比べて勤務成績が劣っていたことを示す「勤務成績資料」、取引先や顧客からクレームが発生していたことを示す「クレーム報告書」、テストの点数が悪いことを示す「テスト結果」などが、従業員の能力不足を示す客観的な証拠となり得ます。
また、過去の裁判例では、能力不足を理由とする解雇が有効と判断されるためには、単に従業員の能力が不足していたことだけでなく、会社からの指導が繰り返されていたにもかかわらず、改善が見られなかったという事情が必要になることが通常です。
例えば、東京地方裁判所判決令和3年7月8日(ZemaxJapan事件)は、「能力不足を理由として解雇する場合、まずは使用者から労働者に対して、使用者が労働者に対して求めている能力と労働者の業務遂行状況からみた労働者の能力にどのような差異があるのかを説明し、改善すべき点の指摘及び改善のための指導をし、一定期間の猶予を与えて、当該能力不足を改善することができるか否か様子をみた上で、それでもなお能力不足の改善が難しい場合に解雇をするのが相当であると考えられる」と判示しています。
このような裁判例を踏まえると、能力が不足していることだけでなく、会社が従業員に対して十分な指導を行って能力の向上に向けて努力していたことも、会社側から主張、立証する必要があります。指導の過程で作成した指導書や指導記録などの客観的な証拠を提出することが重要なポイントになります。
▶参考情報:能力不足を理由とする従業員の解雇については以下もあわせてご参照ください。
労働審判の1回目の期日では、労働審判委員会から紛争の当事者に対して、事件に関しての質問がされることになっています。
この質問に対する回答は、労働審判委員会が双方の主張のどちらが正しいかを判断するための一つの材料にされることになります。そのため、何も準備をせずに質疑応答に臨んでしまうと、自分に不利なことや相手に有利なことを答えてしまい、労働審判で不利な結果となってしまう可能性があります。
そこで、質疑応答に備えて、事前に十分な準備をしておく必要があります。本件では、相談者(会社)の社長、元従業員の指導責任者及び元従業員の指導担当者の計3名が労働審判に出席したため、3名とも質疑応答に備えて準備をしていただきました。
先ほど述べたとおり、労働審判を有利に進めていくためには、事件に関係する証拠を可能な限り集め、その証拠に基づいて十分な主張をすることが重要です。
申し立てる側は労働審判を申し立てるまでに十分な時間を使って準備することができるのに対して、申し立てられる側は、申し立てられてから1か月程度という短い期間の中で、事件の概要を把握する必要があります。また、そのうえで、相手方が主張している事実が正しいか正しくないかを判断し、証拠をできる限り集めて、反論をわかりやすく書面化しなければなりません。
このように事業者側が労働審判に向けて行うべき準備事項は膨大なので、もし弁護士へのご相談の時期が遅れてしまうと、労働審判の1回目の期日までに十分な準備を行うことができなくなります。
本件では、相談者は余裕をもって咲くやこの花法律事務所にご相談いただいたため、比較的時間にゆとりがある中で労働審判への対応の準備を進めることができました。
まず、相談者には事件に関係しそうな資料を思い当たるものについては全て提出してもらいました。具体的には、以下のようなものです。
提出してもらった資料の中には、取り寄せるのに時間がかかるものもありました。例えば専門学校のカリキュラムは専門学校への問い合わせが必要でした。このように、時間に余裕がなければ収集することが難しい資料もあることから時間に余裕をもって準備をすることが重要です。
これらの証拠を踏まえて、相談者と何度か打ち合わせを繰り返しながら、元従業員の主張に対する反論や元従業員が能力不足であったことの主張を具体的に書面にしていきました。
労働審判では、1回目の期日までに主張を尽くしておくことが重要になりますので、必要な証拠の提出や主張を過不足なく行うために、相談者と弁護士の間で繰り返し打ち合わせをすることが必要です。
本件でも、相談者とは複数回打ち合わせを行い、裁判所に提出する書面の推敲を重ねました。具体的には、弁護士から相談者に対し主張を裏付ける追加の証拠がないかを確認したり、相談者から元従業員の能力が不足していることを示すエピソードを思い出してもらって追加で主張すべき点を伝えてもらったりしました。こういった打ち合わせを重ねることで、主張すべき事実を具体的に書面に記載することができ、必要な主張を過不足なく記載した書面を完成させることができました。
弁護士へのご相談の時期が遅れてしまうと、十分な打ち合わせの時間を取ることも難しくなります。労働審判の申立てに対して、適切な対応をするためにも、早めに弁護士にご相談をいただくことが重要です。
従業員を試用期間満了時に解雇した場合、本採用をした後の解雇の場合よりも解雇の有効性が緩やかに判断されます。一方で、試用期間満了時の解雇が有効とされるためには、解雇が、採用当時企業が知ることができず、また知ることが期待できないような事実に基づくものであり、かつ、解雇が客観的に相当であることが必要であると判示されています(▶参考情報:「最高裁判所判決昭和48年12月12日 三菱樹脂事件」)。
このような判断基準が採用される結果、試用期間満了時の本採用拒否について、無効と判断する裁判例も多数に上ります。
▶参考情報:試用期間満了時の本採用拒否については以下で詳しく解説していますのでご参照ください。
本件は、相談者が元従業員を有資格者であることを重視して採用し、有資格者として働いてもらうことを想定していたにもかかわらず、採用した後に有資格者として通常知っている知識を知らなかったり、当然行えるべき業務を満足にできなかったりするなど、能力が不足していることが発覚した事案です。そこで、裁判所に解雇が有効であると認めてもらうために、①相談者が元従業員を有資格者であることを重視して採用したこと、②元従業員の能力が不足していたこと、③元従業員の業務能力が指導を重ねても改善しなかったことを、客観的証拠を踏まえて立証する必要がありました。
以下で、それぞれ具体的にどういった証拠で立証したかを紹介します。
●内定誓約書
相談者において、元従業員を採用する際に内定誓約書に署名捺印してもらっていました。この内定誓約書には、採用の取消事由として「必要とする国家資格の取得ができなかったとき」と記載されていました。この記載は、国家資格を取得していることが採用の前提となっていることを示すものです。
●資格手当の支給を示す給与明細や賃金台帳
相談者は、元従業員に対して、給与として資格手当を支給していました。資格手当とは、一般に、特定の資格を保有している労働者に対して支給される手当です。そのため、資格手当を支給していることは、元従業員が資格を取得していることを重視して雇用を続けていたことを示すものです。元従業員に資格手当を支給していた証拠として、給与明細や賃金台帳がありました。
このように、元従業員の内定誓約書や、元従業員の給与明細、賃金台帳を証拠として提出することで、相談者が元従業員を有資格者であることを重視して採用したことを立証しました。
●専門学校のカリキュラム
元従業員は、有資格者であれば当然に行うことができるべき作業ができておらず、指導を重ねても改善することがありませんでした。
そこで、元従業員ができなかった作業は基本的な作業であり、有資格者であれば誰でも行うことができる作業であることを立証するために、元従業員が通っていた専門学校のカリキュラムを証拠として提出しました。カリキュラムには、必修科目の授業の中に上記の作業に関しての座学や実習が組み込まれていることが記載されており、専門学校でも習うような基本的な作業であることを立証できました。
●クレーム報告書
元従業員が患者対応を行った際、元従業員が患者に対して誤った知識に基づいて説明を行ったことが原因でクレームが発生したことがありました。
相談者は、この際にクレーム報告書を作成していたため、このクレーム報告書を証拠として提出しました。クレーム報告書には、クレームが発生した際の状況や、クレームが発生した原因が詳細に記載されていたため、元従業員が正しい知識を身に付けておらず、それによってクレームが発生したことを立証することができました。
●試用期間満了時の実技テスト
さらに、相談者は、元従業員の試用期間が満了するときに、元従業員の有資格者としての能力を測るために、実技テストを行っていました。
実技テストでは、元従業員は、患者に対して誤った説明を行っていたり、患者の身体に危険が及ぶような行動を取ったりするなど、有資格者として求められている能力を有していないことが明白でした。また、実技テストには30分の時間制限を設けていたにもかかわらず、この時間もオーバーしていました。相談者は、元従業員が実技テストを行っている様子を動画で撮影していたため、この動画を証拠として提出しました。
相談者は、元従業員を指導するにあたって、指導記録票を残すようにしていました。この指導記録票には、元従業員の業務内容、業務における問題点、元従業員に対して指導を行ったこと、指導の内容、改善方法などが記載されていました。この指導記録票は、試用期間中に何度も作成されていたため、この指導記録票によって会社が指導を繰り返し行っていたことを立証できました。
また、指導記録票を細かくみていくと、採用されてから間もない時期に指導された事項と同様の事項にについて何度も指導を受けていることを示す記載や、試用期間満了が近づいても未だに問題点が改善していないことがわかる記載がされていました。このような記載から、相談者が元従業員に対して指導を重ねても能力が改善しなかったことが立証できました。
▶参考情報:問題社員に対する指導の方法や指導記録票の作成については以下でも解説していますのでご参照ください。
労働審判では、裁判官や労働審判員から当事者に対して直接質問が行われます。このような質疑応答は、その対応を誤ってしまうと、労働審判で不利な結果をもたらしてしまう可能性があります。
そのため、質疑応答に備えて事前に十分な準備をしておく必要があります。本件では、質疑応答の事前の準備として、以下の事項を行いました。
以下で詳しく説明します。
労働審判での質疑応答は、労働審判委員会が事件についての判断をするための一つの材料になるものなので、こちらの考えや思いを自由に発言することはできません。また、自由に発言してしまうと自分にとって不利なことを話してしまうおそれがあります。
労働審判を有利に進めていくためには、裁判官や労働審判員からの質問に回答する際の注意事項を守ったうえで回答することが重要です。
本件では、弁護士から、相談者に対して、事前に質疑応答における注意事項を説明しました。
まず、質問に対しては端的に答える必要があります。慣れない場で緊張してしまっているため、聞かれたこと以上のことを回答してしまう方が多いですが、長々と回答しているうちに自分に不利なことや相手に有利なことを話してしまうことがあります。説明が不十分な場合は、弁護士が補足で質問して、追加で説明する機会を作ることもできますので、まずは端的に回答することを意識することが必要です。
また、覚えていないことや自分ではよくわからないことに関しての質問の場合、無理に回答しようとするのではなく、「覚えていない」「わからない」と回答する必要があります。無理に回答しようとすると、客観的証拠と矛盾したことを話してしまったり、曖昧な回答しかできなかったりします。このような回答は労働審判委員会に悪い印象を抱かせる可能性があります。
相談者には、上記のほかにも、弁護士からいくつか注意事項をお伝えし、これを意識してもらいながら質疑応答に臨んでもらいました。
事前に裁判官や労働審判員からどのような質問がされるのか分かっていなければ、突然の質問に動揺してしまい、誤解させるような答え方をしてしまったり、曖昧な回答をしてしまったりする可能性があります。
特に、会社が提出した反論書面(答弁書)に矛盾するかのような回答をしてしまうと、「この人の言っていることは信用できないのではないか」と会社側の主張に疑問をもたれてしまい、不利な結果をもたらすこともあります。
そのため、事前に裁判官や労働審判員からの質問事項を予想し、その質問に対する回答を予習しておくことが必要です。本件では、弁護士がこれまでの経験を踏まえ、裁判官や労働審判員からの質問を予想し、「想定質問集」を作成しました。
そのうえで、相談者には、労働審判のリハーサルとして、想定質問集に対する回答を行ってもらいました。リハーサルの際の相談者の回答の中には、提出した証拠と矛盾していると誤解されかねないものや、あえて回答する必要のないものも含まれていました。そのため、弁護士から、矛盾と受け取られない表現への変更や、必要な内容のみ回答することなどのアドバイスを行いました。
このように事前に裁判官や労働審判員からの質問事項を予想して準備を行うことで、落ち着いて質問に回答することができます。相談者も、当初は裁判官や労働審判員からの質問に対してうまく回答できるか不安に思われていましたが、事前に作成した想定質問集を繰り返し見直していただくことで、落ち着いて本番に臨むことができました。
結果として、元従業員には合意のうえで退職してもらう内容で調停が成立しました。
相談者の希望どおり早期に問題を解決することができ、労働審判が行われたのが年末であったということもあり、相談者からは、すっきりした気持ちで新年を迎えることができそうで良かったです、とおっしゃっていただきました。
なお、労働審判に対応するにあたっては、1回目の期日までにどこまで証拠をもとに主張・立証できるかが重要となります。本件では、相談者から余裕をもってご相談していただけたため、時間をかけて証拠を収集したうえで主張・立証することができました。
しかし、仮に相談者からのご相談が遅れていたとしたら、準備の時間をとることができず、十分な主張・立証をすることが難しくなります。労働審判に向けて十分な準備を進めていくためにも、労働審判を申し立てられた場合は早急に弁護士に相談していただくことが大切です。咲くやこの花法律事務所でもご相談を承っていますのでご相談ください。
▶参考情報:なお、労働審判については、以下でさらにお役立ち記事をご紹介していますのであわせてご参照ください。
・労働審判の答弁書の書き方!5つのケースにわけて反論方法を解説
▶参考動画:今回の事例のように労働審判を起こされた時の会社側の対応について解説したお役立ち動画「労働審判を起こされた!会社側の対応について弁護士が解説【前編】」も参考にしてください。
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今回は、「試用期間満了後に本採用せずに解雇した従業員から復職を求める労働審判を起こされたが退職による解決をした事例」について、ご紹介しました。他にも、今回の事例に関連した労働審判の解決実績を以下でご紹介しておきますので、参考にご覧ください。
・雇止め無効を主張する契約社員から復職を求める労働審判に対応し、復職を認めない内容で和解を成立させた事例
・従業員に対する退職勧奨のトラブルで労働審判を起こされたが、会社側の支払いなしで解決した事例
・解雇した従業員から不当解雇であるとして労働審判を起こされ、1か月分の給与相当額の金銭支払いで解決をした事例